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EsIdea -仕事について考える-

仕事や心理について

100社以上落ちて超絶ブラックに新卒入社した話 就活編

私が就職活動を始めたのは大学3年の夏だった。

芸術系の大学だったためか、周りで就職活動をしているような人間はほぼいなかったが、数ヶ月立つ頃にはみんなが焦り始めた。

何故か?そう、リーマンショックだ。

リーマンショックにより、そこそこの人数だった就職説明会はどこへいっても盛況という状態になった。多すぎたためか、説明会で選考が行われるような会社もあった。

正直、その頃の私はなんの取り柄もないコミュ障ほどではないにしろ、明るくもない平凡な学生だった。幼稚園から延々いじめを受け続けて中学受験をしてもその悪循環から抜けられず、やっと大学でまともな精神を取り戻した程度の人間だった。

そんな人間が有名企業の最終選考に残れるはずがなかったのである。

4年の夏になるまでに3社くらいのインターンを経験したが、1次は通っても2次~最終にかけて落ち続けた。100社以上は確実に落ちた。

私は方針を切替え、好きな業種の中小企業に狙いを定めた。それでも落ちた。落ち続けた。秋頃にはもうなりふり構わず会社を探した。

その中で、自分からブースを設けて、プレゼンをするような逆説明会のようなイベントに参加することにした。「逆求人」というものだった。

そこで、3社からオファーを受けて、1社内定をもらうことが出来た。ベンチャーで飲食店のコンサルティングをしているという会社だった。

今なら、もう聞いただけでブラック企業だとわかるが、当時の私は藁にもすがる気持ちであった。そういう気持ちになるほど、あの頃の就職状況は冷え切っていたし、度重なるお祈りメールに精神が病んでいた。疲れ切っていたのだ。

その後、内定式までに、インターンをすることになった。売上の上がっていない店舗の周辺で飛び込み営業をおこなったり、ビラ配りをすることで、売上3倍を目指すというものだった。

引っ込み思案であった私だが、もう後には引けなかった。

<つづき>

shigoto-toha.hatenablog.jp

残業について考える

残業は悪か?そういう問い自体無意味なのかもしれない。なぜならどちらにもなりうるからだ。労働基準法の改正が騒がれているが、実際の所あまり意味ないのではないかと思っている。

なぜなら、労働者が進んで残業をしている場合は収入が減る可能性があるし、なかば強制でやらされているようなブラック企業では是正されないからだ。

割りを食うのは適正に進んで残業代をもらっていた人なのではないだろうか?

世の中のは星の数ほどの会社があるし、それをすべて監視する労働基準監督署の人員は3,000名に満たない。その全てが献身的に活動しないことを考えてもかなり絶望的な数字だ。本気で規制するのであれば最低でも1万人ほどは必要だろう。

残業は本来必要ない

しっかりとしたビジネスモデルがあり、マネジメントが行き届き、人事が仕事をしていれば、日常的な残業は発生しない。日常的な残業が発生するのは、ビジネスモデルが貧弱で、マネジメントができておらず、人事が機能してないからだ。

ビジネスモデル

ビジネスモデルはどれだけの労働力でどれだけ儲かるかということだ。少ない労働力で儲かれば儲かるほど、資金に余裕ができるので、残業が発生する可能性は低くなる。

しかし、逆に言えば労働力を安く叩けば叩くほど利潤が取れるので、会社方針によっては残業地獄になりかねない。

マネジメント

管理が行き届かなければ仕事をうまく割り振りすることが出来ない。誰がどれだけ働いているのか?その仕事に向いているのか?仕事量は適切なのか?そういった管理ができていなければ、ある人は残業が発生し、ある人は定時でいつも帰宅するというような状況になりかねない。

人事

人事がしっかりと組織を形成できるように計画的な採用をしていれば残業は起こりにくい。適切な人材を適切な仕事に就かせることが、人事の仕事だからだ。ただ前述したふたつが機能しなければそれも難しくなる。

規制することが最善なのか?

おそらく、こんな規制をかけても残業の状況は改善されないだろう。東証1部上場企業などの目立つ部分では改善されるかもしれない。そして、それを数値化して規制がうまく言ったと公表するだろう。そして、恐らく本当に苦しんでいる人々は救われない。

本当に改善をするのなら、優遇措置するほうがよいかもしれない。残業をさせるよりも、新しく人を雇ったほうが得になるシステムを作るのである。そして労働者からの違反通告があったら、事実関係を確認し、その優遇措置を打ち切るようにする。

そうすれば企業側も迂闊にサービス残業などさせないだろう。

 残業は悪ではない

適切な報酬を支払い、労働者側に選択の余地があるのであれば残業は悪ではない。悪なのは、労働者側の弱みにつけこんで、強制的に労働を強いる一部の経営者である。そしてその経営者を許している社会や政治が一番の問題なのである。

労働者側も、そういった企業でしか働けないことを恥じるべきだ。以前の記事にも書いたが、ブラック企業を支えているのはそこで働く労働者である。

shigoto-toha.hatenablog.jp

そもそも、ろくでもない残業を強いる企業など勤めなければいいのである。

個の時代

この先、どんどん個人の力が重視される時代になる。今も既にそうなってきているが、日本の組織はその流れに乗れていないといえるだろう。何百何千何万人もいる企業が数人で立ち上げたベンチャーに負けることも十分ありえるのだ。

そんな時代の中で、年功序列が大切といっている企業が勝ち残れるだろうか?よほど既得権益を得ていなければおそらく無理だろう。

年功序列は廃止すべきだ

年功序列は組織を衰退させる。

なぜなら、年齢で責任の重さが変わってしまうからだ。責任の重さはすなわち、意思決定の重さにつながる。会社の業績や未来は意思決定の積み重ねで左右されるのだ。

そんな重要な要素を、長年勤めたからという理由で決めてはいけない。長年勤めたのなら、そのぶん経験値が溜まっているという論理なのだろうが、経験値の高さは期間の長さではなく、その濃さが重要である。特にチャレンジもせず、ダラダラと勤めた人間と1年間チャレンジをし続けて、失敗や成功を重ねた人間では経験に雲泥の差がでるのだ。

老害は淘汰される

実力のない人間は淘汰される時代がもう来ている。年齢ばかりとって、何もしてこなかった人間がふとしたきっかけクビになり、その後どこにも行く場所がないということが既に起きている。年老いて利益を出せなくなった社員を養っていくだけの体力が残っている会社は少ない。

年功序列の精神だけで、実力もなく大きな顔をしている老害と呼ばれる人たちなど、リストラ対象である。もし自覚があるなら、おとなしくしているのが身のためだ。実力がないだけならまだしも、実力のある人間の邪魔をしたら消されるのが当然である。

逆にそれが起きてない組織は淘汰される運命だろう。

単純作業からなくなっていく

ロボット化に人工知能の発達で、これから単純労働や、事務、会計、コールセンターなど、アルゴリズム化できるものや、特殊で精巧な技術を必要としないもの、人間がやらないと味気ないもの以外は代替されていくだろう。さらに、今後安い労働力が海外からやって来ることも予想される。

自分だけでも稼げるような能力や労働力やお金を使って稼ぐことの出来る能力を持たない人は苦しい状況になるだろう。

もはや何も考えず、いい学歴だけを持ってだらだらと一つの会社に勤める時代は終わっているのである。

考えられる人間が生き残る

どんな人間がこの世界で生き残るだろうか?それは、そういったことを真剣に考えて行動できる人間である。他人に従って生きていればいいという思考停止な人々は消えていくだろう。大事なのは自分がどう考え、どうしたいのかということを常に自分に問い続けることである。

 

自分の人生を生きる

心が健康なひとは他人に影響されはしても、操作されることはない。それは自分の人生を自分で操舵しているからである。本来人は自分の人生を自身の意思で生きるのであり、他人の指図で他人の人生を生きることは自分の人生を放棄しているといえる。

他人を変える努力は無駄である

 社会におけるひとの悩みのほとんどは人間関係の悩みだ。その悩みに対して、他人を変えようとすると、大概、徒労に終わる。もしくは状況が悪化するだろう。

なぜならひとは自分で変わることは合っても、他人によって変わることはないからだ。ではどうすればいいのか?それは状況によって自分を変えることだ。自分を変えるとは、自分の根本を変えるということではない。自分のやり方や環境を変えるという意味だ。自分の性格や根本を偽れば、いつかその歪みが自分に返ってくる。無理は続かないのである。

例えば、言い方、伝え方、仕事の手法、服装、表情、姿勢など、根本を変えなくても努力で変えられるものはいくらでもある。相手に媚びるために変えるのではなく、自分を出しても問題ないような形にもっていくということだ。

いくらやり方を変えても、生き辛いのならその環境はあなたに合わない。すぐに環境をかえるべきだ。

嫌われることはしかたのないこと

自分の人生を生きるとき、おそらく多くの人があなたを嫌うだろう。都合が悪いからだ。自分の意思を持たず、他人の言うことを聞いてくれる方が他人にとって都合がいい。しかし他人にとっての都合の良さは、あなたの人生に何をくれるのだろうか?

 

 

 

心を疲弊させる悪意

ダブルバインド(二重拘束)

ブラック企業を渡り歩いていると、人の心がどうすれば壊れていくのか、疲弊していくのがが分かるようになる。

そのうちのひとつとしてダブルバインド(二重拘束)がある。このダブルバインドの酷いところは、恐ろしく人を揺さぶるという点で、その手のやり方に慣れていない人だと短期間で正常な判断力を失いかねない。

具体的には、「自主的に行動しろ」と「指示があるまで動くな」という2つの指示を交互にだすようなものである。自主的に行動を起こしたら、勝手に動かないように注意をし、指示があるまで待機していたら、自主的に行動するように注意するというような感じだ。

不機嫌な女性に「放っておいて!」と怒られたと思えば、放っておくと「なんで放っておくのよ!」と怒られるようなものである。

やられた方は、恐ろしくストレスがかかる。そして2つの矛盾した指示に揺さぶられ続けて何が正しいのかわからなくなり、怒られるたびに萎縮していく。判断力と自信が失われていき、最終的にはその人の言うことにすべて従うようになってしまう。

無意味な仕事

無意味な労働は効率よく人を疲弊させる。例えば社内の物を無意味に移動させるだけの仕事だとしたらどうだろうか?やりがいは感じられないし、感謝もされない。それで給料が出るような会社はないと思うが、会社を辞めさせたい社員にそういったことが行われることは多々ある。

おそらく、「無意味な仕事をさせるほど、我々にとってあなたの存在は無意味だ」というメッセージなのだろう。単に管理職が無能なだけかもしれないが…

社内失業

やることが何もないと言う状態。ただの嫌がらせというパターンもあるが、社内が管理されていない無法地帯な会社でも起こりうる。

私の場合は社内政治的に他部署の仕事を手伝ってはいけないけど、自部署では仕事がない。というようなつまらない理由だった。仕事は与えないけど、仕事を取りに行ってもいけないというダブルバインドでもある。

過剰目標

達成不可能な目標を与え、月時報告でその未達を叱りつける。毎月避けられない処刑台に向かっているような気分になる。もちろんやる気も失せるので成績も上がらない。出来ない理由やこうすれば可能というような相談は一切無視される。

悪意

正常な判断力を持つ人なら、これらが無意味であることがわかるだろう。恐らくそういう方法を過去されて、それを継承しているか、それをすることで何かの欲求を満たしているのかもしれない。そこにその人達の心の闇があるような気がしてならない。もし、こういうことをされて、周囲が止めようとしないのならその組織は恐らく末期なのだろう。個人の力で組織を改革するのは難しい。気力が尽きる前に環境を変えることをおすすめする。

敬意を持たない人々

敬意を持てないひと

他人に敬意をもてないひとがいる。

言い換えれば、自己の未熟さを他人で埋めようとしているとも言える。私はそんな、他人に敬意を持てず、偉そうにしているひとは本質的に弱いひとだと思っている。本物の自信を持っていて、強いのなら偉そうにする必要がないからだ。

ホンモノであれば、誰にだって敬意を持てるはずである。

敬意をもってこその信頼

互いに敬意をもってこそ、信頼関係が築ける。敬意のない関係には信頼は生まれないのである。そういった敬意の無さは、以下のような行動に現れる。

  • ひとを呼び捨て、もしくはお前と呼ぶ
  • 他人に対して「使う」と言う
  • ひとの時間をぞんざいに扱う

ひとを呼び捨て、もしくはお前と呼ぶ

まず、ひとは常に対等だ。会社での立場は責任の重さであり、誰かより偉いということはない。

どんな立場の人間であれ、対等に接することが出来なければ、信頼関係など築けない。ひとは支え合い、貢献しあっているのだから、どんな役割であれひとの価値は対等なのだ。

それを履き違え、天狗になっているひとの発言に多いのがこの呼び捨てや、お前呼びだ。会社によっては社内ルールで「さん」呼びを固定するところもあるほどである。また「くん」などの呼称をひとによって変えるのもよろしくない。

逆の意見も見つけたので良かったらどうぞ

役職者を「さん付け」する会社が崩壊するワケ | 上司と部下の常識・非常識 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

他人に対して「使う」と言う

他ひとに対して「使う」というのは、ひとに対して敬意が足りていないといえるだろう。外注を使うと言ったり、アルバイトを使うと言う表現は避けるべきだ。言われた方はいい気がするだろうか?

ひとの時間をぞんざいに扱う

私は時間は生命そのものだと思っている。労働とは、生命を預けて、対価をもらうことである。生命を預かった者には、その生命を有効に活用する責任がある。

だが、ひとの時間をぞんざいに扱う人間は多くいる。サービス残業などもそうだが、自分の時間ばかり優先し、他人の都合や時間を顧みない。そんな人間に敬意があるだろうか?私はそういう扱いはその人の生命に対する侮辱だと思っている。

勘違いしてはいけない

立場が年収が上がったからといって、周りの人間が下になったわけではない。社長でもなんでも人間の本質的な価値は等価なのだ。

報酬が増えるのも、役割がより重要になり、責任が重くなったからだ。意見が優先されるのも、最終的に責任をとってこそである。勘違いしてはいけない。

敬意を表せない人間は、尊敬されないことも受け入れるべきだ。

逆境で大切なこと

困難な状況に陥った時に大切なことはなんだろうか?

人生は逆境の連続だ。進めば進むほどほど逆境が訪れる。困難を乗り切った時、素晴らしい景色とひとしきりの安息をくれる。そしていつしか暗雲が訪れるのだ。

私も何度落胆し、何度諦めようとしたか分からない。しかし、一つ言えるのは、絶望しなければ活路がどこかにあるということだ。

私はそういった状況に陥った時、考えるようにしていることがある。それは以下の3点だ。

  • 現状を把握して受け入れる
  • 視野を広げる
  • あえて前進する

現状を把握し、受け入れる

逆境時、人は冷静さを失う。動揺していないと感じていても、実際はかなり動揺しているということもあるので注意が必要だ。そして、冷静に現状を把握することが大切である。そのとき、決して楽観的になりすぎたり、悲観的になりすぎてもいけない。

そして、把握したらその状況を受け入れる。これが重要だ。

多くの場合、現状の把握はできても受け入れることが出来ない。受け入れることが出来ないから、根本的な解決に向かわずに保留をしたり、その場しのぎをするという行動につながる。状況は好転するだろうか?

人は事実を受け入れがたい。心に負担を強いるからだ。ただでさえ状況が悪いのに、その状況を正面から見据え、受け入れなければいけない。それが出来る人は多くない。

だからこそ、そういう局面では人の真価が問われる。

視野を広げる

人は絶望すると視野が狭くなる。三重苦のヘレンケラーがこういう言葉を遺している。

When one door of happiness closes, another opens; but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has been opened for us.

幸福の扉が閉じられる時、私たちはその扉を長く見つめているがために、別の扉が開いていることに気づかない。

恐怖や悲しみは簡単に眼前を覆ってしまう。普段は感じられた幸せがいとも簡単に感じられなくなる。しかし、失ったモノは過去だ。見つめていて返ってくるのだろうか?少なくとも私は取り戻せたことがない。

現実を見据え、受け入れたら視野を広げよう。ひとしきり悲しんだのなら見切りをつけて、辛くても顔を上げよう。目を凝らせば小さくても希望が見つかるはずだ。世界は広いのだから。

あえて前進する

私はどんな絶望的な状況でも、やりきったと感じるまで逃げないようにしている。実際、逃げるのはいつでも出来るのだ。

きつい環境に留まることは苦痛以外なにものでないが、ギリギリまで逃げないことで得たものは多かった。中でも大きいのは度胸がついたことだ。

私の行動は周囲から怖いと言われることが多い。それはみんなが怖くてやれないことをやってしまうからだろう。その辺のセンサーがぶっ壊れているとも言えるが、それでもやることで物事が進展することは多い。

案外、死線を超えたところに思わぬ幸運があったり、超えてみれば大したことがなかったということもある。

度胸をつけたい人は一度、死線(これ以上は怖いと思うライン)を超えてしまうことをおすすめする。きっといろんなことがどうでも良くなる。