EsIdea -仕事について考える-

仕事や心理について

学校教育と就職活動のギャップ

人生において学校教育を受ける期間はとても長い。義務教育は中学生までだが、多くの日本人は高卒以上だ。しかしその教育機関は昭和の時代からほぼ変化していない。

教育機関はなんのためにあるのか。それは、人材を育てるためである。ならば、教育は時代のニーズに合った教育をするべきだ。

しかし、これだけ時代が変化しているというのに、変わったことといえば、情報の科目が増えたことと、ゆとり教育という名のもとに学習時間が削られたことぐらいだ。

いつまでインプット中心なのか

少々の変化があるとはいえ、学校教育がインプットに偏っていることは否定できない。決められたことを学び、それを正確に複製することが日本教育の核だ。

これは産業革命以後の生産能力向上のための教育を引きずっているためだ。設計図通りに、素早く、正確に行うことは、制限時間内に教えられたことを正確に紙に書くことと同じだ。

しかし、現代ではそういう人材が多く求められてはない。商品の寿命が短くなり、消費者の飽きも早くなった。マーケティングによってみんなが同じものを買う時代も終わりかけている。

企業側も、自分から率先して動き、新しい発想を広げていく人材を求めている。学校教育は言われたことを正確に行う人材を作り出しているにも関わらずだ。

そのギャップにより、大学までインプットを完璧にこなしてきた人間が、就職活動にあたって困惑する羽目になる。

若い頃から時代を読み、行動できる人間はいいかもしれない。しかし、学校教育を盲目的に信じ生きてきた人間にとってこの現実は非常につらいものになりかねない。

勉強と仕事に対する考え方

勉強は多くの学生にとってつらく、苦しいものだ。何のために学ぶかもわからず、決められたカリキュラムを周囲と同じように学ぶ。個性を封殺して、周囲とおなじものになっていく過程は虚無感すら覚えかねない。

こうして、学生は勉強が嫌になっていく。しかし、いい大学に行くために歯を食いしばって、毎日何時間も続ける。そういうことを続けていれば、大学受験をすぎた瞬間に、勉強をしなくなるのも納得できるだろう。多くの学生にとって大学入学がゴールなのだから。

そして卒業とともに嫌な「勉強」は嫌な「仕事」に変わる。

本来勉強と仕事は楽しいもの

こういった現象はシステムに疑問を抱かず、変化を恐れてきた大人の責任だ。いや、もっと恣意的なものが働いているのかもしれない。

なんにせよ、現代教育は誤った方向に進みながら、修正する機会を見失っている。本来勉強は知識がほしいと感じて学ぶものであり、欲した知識を得るのだからそれは楽しいことのはずなのだ。にも関わらず、強制的に欲しくもない知識を植え付けられるものだから、学習自体を嫌悪するようになってしまう。仕事も同様だ。

子供の為を思ったなら、義務教育など無視して家で自由に学ばせるほうが将来的に良いのかもしれない。学習を楽しいと思えれば、勝手に学びを高める人になるのだから、強制的に教える必要などないはずだ。

アウトプットを中心の教育

これまで批判をしてきたが、インプット教育が全て悪いということではない。ある程度の基礎知識はインプットすべきだろう。しかしそれはアウトプット中心であるべきだ。「こういうアウトプットをしたいから、このインプットが必要」という風な教育に変えていく必要があるだろう。その上で、独自にアウトプットしたものを共有して、協力しあって更に高めていく。こういった教育の末に生まれた人材はおそらく、今の時代にあった人材になっていくはずだ。

知識を詰め込むのではなく、望まれたものを渡す教育が今必要なのではないだろうか。